もう先月になってしまったトワイライトエクスプレスの旅。友人におみやげを届けに行ったときに
意外に話題に花が咲いたのが到着後にたずねた富良野線とファーム富田のことでした。
トワイは9:52札幌着。私のような0泊2日弾丸ツアーでもローカル線を訪ねても夜の飛行機に間に合います。
とはいえ、私がいった時期にはまだフラノラベンダーExp.がまだまばらな運行で函館本線を乗り継いで
(北斗星でも事前にキップを入手しておけばこのスケジュールでいけるでしょう)
がしかし、やってしまった! なんだか時刻が頭の中でゴッチャになってしまったらしく旭川と美瑛の
離れていることを知らずになんと普通列車に乗り遅れる・・・
たまたま持っていたミニノートPCで情報を集められなかったら1日をだいなしにするところでした。
そういうミスがあったからこそ、こういうショットが得られたわけです (汗)
で、そこまでして行きたかったファーム富田という観光農場。北海道の農場だけのことはあり、そうとう不便で
このファーム富田、ここは撮りテツに救われた街としてそのエピソードが一部に知られております。
戦後の富良野は化粧品の原料としてラベンダーが栽培され丘という丘はラベンダー色に染まっていたそうです。
が、高度成長期になると安価な輸入原料と合成原料によって富良野の農家では採算が取れなくなり
ほとんどの農家は稲作などに転換し、その美しい景色は失われていきました。
そんな中でファーム富田だけはラベンダーの愛着が捨てきれず、” あと1年、あと1年” とがんばっていたところ
ある年の夏、突然畑に何本ものカメラ三脚が立ったといいます。それは1975年に当時の国鉄カレンダーの
6月のページに残雪の十勝岳をバックにしたファーム富田の美しい花畑が掲載され
それを見た全国の撮りテツたちがラベンダーのベストシーズンにこぞってファーム富田を目指してきたのです!
彼らの ” 絶対にやめないでください!” という声が富田氏をはげまし、” 観光で食っていけるかもしれない”
と思い立ったことが現在のファーム富田に繋がっていきます。やがては周辺の農家もそれに追従。
また、その撮りテツたちの写真は各メディアに取り上げられることで富良野=ラベンダーが認知されていきます。
撮りテツはいわば ” 間隙の救世主"となり富良野の街を救ったのです。
やがてはラベンダー畑が観光資源となり、富良野線の乗客も増加。
1999年にはJR北海道からのラベンダー畑への感謝のプレゼントとして板切れ1枚のような臨時駅である
” ラベンダー畑駅 ”が開設。さらには美瑛ノロッコ号、ラベンダーエクスプレスも就航し
さてさて、0泊2日の弾丸ツアーですので日が落ちるまえには飛行機で帰京します。
さてさて、ことしのトワイライトExp.の旅もおしまい。
夕日にフラれた主役不在の旅となりましたが、最後の最後にタラップの途中から
北海道の地からプレゼントをもらいました。 AIRDO38・トワイライトエクスプレスというわけです!
さあ、また来年のトワイライトエクスプレスで今度は赤い夕日を見るために1年間ガンバロー!