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オレンジ電車 これでほんとうに終りですね・・・

中央線オレンジ電車17日に花道 最後の1編成、解体へ

オレンジ塗装の「201系」=8月撮影、JR東日本八王子支社http://www.asahi.com/travel/rail/news/images/TKY201010150208.jpg
パテを塗り込むときに使うヘラを手にする小山栄作さん
 
提供=東京都品川区の東京総合車両センター
 
 東京を東西に走るJR中央線で半世紀以上も運行されてきた、全面がオレンジ一色の電車が姿を消した。中央線の象徴だったが、全面塗装が不要な新型車両の登場で、その座を譲った。最後に残った1編成は17日、特別ツアーで松本駅(長野県松本市)まで走り終えると、そのままスクラップ処理される。
 「寂しいけど、時代の変化の中で務めを終えた。ごくろうさまと声をかけてあげたい」。JR東日本・東京総合車両センター(東京都品川区)に勤務する小山栄作さん(54)はこう話す。
 18歳で国鉄職員になって以来、塗装一筋。数え切れないほど、オレンジ色の車両を塗装してきた。むら無く塗装するため、車体の凹凸を樹脂のパテで埋め、塗料を吹きかけていく。手間はかかるが、仕上がった電車が走るのを見るのが楽しみだった。
 腐食の心配が無く全面塗装が不要なステンレス製の新型車両の台頭で、塗装専門の担当者も、入社当時の300人から10人程度まで減った。
 2008年10月、オレンジ車両の最後の塗装作業があった。パテを埋め込んだ場所は塗料の吸収がよく、大型機械で一気に吹き付けると色むらになる。普段はそのまま吹き付けるが、この時は社員2人がまんべんなくツヤが出るよう、はけで塗る一手間をかけた。「どこに出しても恥ずかしくない最高の化粧をしました」
 オレンジ色の電車が中央線にデビューしたのは1957年12月。当時「国鉄初の新性能電車」と呼ばれた鋼鉄製の「モハ90形」(その後「101系」に改番)を塗装した。JR東日本によると、当時はほとんどの電車が茶色だった。オレンジにしたのは、乗り間違いを防ぐためだったという。
 乗り物エッセイストの三好好三さん(72)=東京都小金井市=は、デビューの日が20歳の誕生日だった。学生だった三好さんは、沿線の吉祥寺駅(東京都武蔵野市)近くに暮らし、試運転でたびたび目にする明るいオレンジ色の電車に心が躍った。誕生日に営業運転が始まると知り、吉祥寺駅で電車を待った。乗り込むと、大型の窓から明るい光が差し込んできた。「新しい時代を象徴する新しい電車だった」
 鮮やかなオレンジ色は話題になり、当時の東京・丸の内のOLたちは「きんぎょ」と呼んだ。山手線の黄緑、中央・総武線の黄色、京浜東北線の水色と、色とりどりの電車が首都圏のレールを飾った。
 オレンジ色の電車は「101系」から「103系」、省エネ電車と言われた「201系」と3代にわたった。
 80年代後半になるとステンレス製の新型車両が登場。塗装した鋼鉄製の電車は姿を消していった。中央線でも06年から、新型「E233系」への置き換えが進んだ。新型もオレンジのラインが入り、中央線の色は引き継がれる。
 JR東の八王子支社によると最後の1編成は14日に通常運行を終えた。17日のツアーはすでに予約で満席で、午前10時19分に豊田駅を出発する。松本駅で乗客を降ろした後、長野市長野総合車両センターに入り、スクラップ処理される。(宮嶋加菜子)
 
 
asahi.com.travel より転記
 
明日、ほんとうのホントに中央線201 オレンジ電車がおわりですね・・・
私にとっては29歳で夢破れて沖縄を後にして、公共交通に身を投じ、与えられた寮が中央線沿線の高円寺。
ここから毎日、大久保の本社営業所まで早朝5時台に通勤した思い出の車両です。
思えば世はバブル崩壊後の暗い時代・・・ 当時の中央線といえば飛び込み自殺による遅延が絶えず
仮眠後に帰ろうとすると止まっていてだいぶ痛い目にも合いましたが、半面、営業中はそのおかげで
振り替え輸送のおいしい仕事にありついたりして。 私にとってもけっしてラクではない時期。
うれしいときもつらいときも、いつもコイツで帰った思い出の車両であります。
 
友人のウェブ上の日記には、” まだ走ってたのか、あのお別れ走行はなんだったの? ” なんて
書かれていたこともありましたが、もうほんとうに明日でおわかれ。
 
すこし前に共立女学園高校の実習で作られた絵本 ” オレンジ電車、おぼえてる? ” が出版され
沿線でのみ販売だったので中野駅前で買って中央線201系の熱烈ファンであるlitle TGVのふうた駅長見習いに
一冊進呈したところ、” 最後のページは泣ける、オマエラも泣け! ” とお店の文庫に置いていただきました。
そのときはそれほど泣けるかぁ? と思ったものの、今日読んだら泣けるんだろうなぁ・・・
今晩は当直でよかったよ。。。
 
最後にこのブログらしくひとつ主張を書いておくと、201のような日常的な車両のフィナーレが
今回これだけ盛り上がったのには、日本の鉄道文化もホンモノに近づいたかなと思いました。
近づいた、  というのは 動態保存するべきでしょうね。
秩父鉄道さんあたりに一肌脱いでいただけるとすごくうれしいんですが。
 
なにはともあれ、いままでほんとうにありがとう、オレンジ電車!!