さてさて後編です。
ことしの後半に入ると身辺にたいへんな問題が勃発しました。
それは所属する営業所が経営再建の一環として、戦時統制時からの歴史ある営業所でありにもかかわらず
所属する車両を大幅減車したうえで本社営業所に統合することになったのです。
交通機関の閉鎖というものは膨大な量の当局への届出作業を伴います。
その作業を引き受けてはくれないか?という本社の問いかけに私は乗ってみることにしました。
だって、残業手当を毎月5万円ももらえれば毎月ブルートレインで北海道とか行けるじゃないっすか!!
そんなわけで7月はいきなりトワイライトエクスプレスだっ!
去年も乗ったトワイ。
ことしもおなじくEF81-104
ががんばってひっぱります。
去年はボロボロだったけど
全検を取ったようで、キレイに
お色直しされていました。
EF510に押されて置き換わり
が進むEF81.
わたしは最後に残るのはこの
トワイライトExp.編成じゃないかと予測します。
昨年はシングルツイン。
今年はキャンセル待ちをがんばり
ロイヤルを取りました。
がしかしこの天気で
夕日を見ることはできず。
鉄道の神様はなかなか
いっぺんには与えてくれませんな。
ま、それはそれで味わい深い
旅になりました。
今回いちばん困ったのが夕食
キャンセルが出たのは4日前
ディナー予約は5日前まで
そこでウラワザ炸裂!!
就航時に設定されていた
金沢大友楼の超高級駅弁
加賀懐石弁当をオーダー
しました!
一万円だヨ!
札幌到着後には富良野線でラベンダー畑の景色を満喫しました。
8月
青春18きっぷ旅です。
そのような事情があり、テツ旅に出られる時間が取れたのが8月最終週に入ってから。
一週間で単休・連休・連休が取れたので迷わず連続してGO!
1発目!
呑みテツ仲間と呑みテツ旅
一日中呑みながら中野~
途絶えてしまった信越本線
の軽井沢~横川間を連絡
バスでつなぎ再び信越本線
~高崎線で帰るテツ分たっぷりな日帰り旅。
経営危機なのに方向性の見えない上田電鉄を見て複雑な
気持ちになる。昼下がりの運転士も寂しげに見えた旅。
2発目!!
夜行快速ムーンライトえちご
で新潟へ。早朝の到着後に
サウナでひとやすみしてから
きらきらうえつで酒田に。
土門拳記念館で古寺巡礼を
鑑賞後に酒田駅で見た
撮り鉄のアイドルEAST-iと
きらうえとの夢のような
ツーショット!
9月
一週間シリーズの最後は極めつけの旅の3発目!!!
急行だがこれも立派な
そして老兵ED79。
いったツアーの皆さんにも
姿を見られることなくそれらの
抜けさせて北海道に連れて
行く縁の下の力持ち。
その無言の迫力・貫禄に
深夜の青森駅ホームで
思わず敬礼した。
札幌到着後は普通電車を
乗り継いで苫小牧から
日高本線へ。
いまさっきも紅白で森進一が
歌ってたがワシも現地で
ひと唸りしてきた。
これがホンモノの襟裳岬
到着したときは肌寒い小雨。
岬の突端に近づいてゆくと
急に強い風が吹き快晴に!
すると湿度や温度差のせい?
瞬く間にこの快晴の霧の景色
自然ってホント凄いな・・・
来てよかった!思った瞬間。
10月
このブログ開設のキッカケとなった秋アキ師匠にブルートレイン完乗を報告に行き
酒を酌み交わす旅。
この日本海乗車で
とのツーショットです。
今回使ったブルマン式開放
A寝台はとても広々としていて
また乗ってみたい車両です。
下 惜しくも12月でなくなって
しまった485系かもしか。
まるいライトの初期型485と
お別れする日も、もしかすると
もう近いのかもしれません。
青森到着後は残念ながら
なくなってしまった485系
かもしかで秋田内陸縦貫線
を訪れ、こまちで秋田入り。
たっぷり一晩秋アキさんと
そのお仲間と呑み、翌日は
秋アキさんの案内で由利鉄
に乗って釣りキチ三平の里
矢島を訪れました。
秋田内陸縦貫線。
よく写真に出てくる赤い鉄橋
の上から撮った写真。
高いところダメなひとは
マジにやばいっすよ!
非電化路線の鉄橋ってのは
ほんとに ” のっかてる ”
だけだから怖いよね。
10月はもう一発ダ!
大糸線を引退したキハ52の
導入や養成費用自己負担を
条件に運転士を採用するなどで話題のいすみ鉄道の
懐石御膳列車に乗ってきました!ムーミン列車でGO!
千葉県内地産地消をテーマに
した懐石御膳。
たいへんしっかりしたお味で
ございやんした。
11月
今年は 華 で神奈川県内の東海道貨物線を走りました。
お天気のいい秋の1日を
お座敷列車でたっぷり
呑みたおす贅沢な旅。
ときどき車内を回ってくる
木村裕子さんとテツ話を
交わせるステキなテツ旅。
毎年やってほしいですね。
ラスト12月!
ことしはもうテツ旅の企画はなかったのですが
ギリギリになっていすみ鉄道に到着したキハ52の撮影会の情報が舞い込んできました!
大糸線時代、自分にローカル線を訪ねる醍醐味を
おしえてくれたキハ52.
さよなら運転も復活運転もどうしても行くことができず
不義理な自分を呪ったものですが
こんな近くのローカル線に来てくれるなんて・・・
聞けば、地元自治体の援助を条件に存続している
いすみ鉄道だけに、スクラップにされてしまう寸前で
JR-Wへキハ52-125を救出にいった鳥塚社長は
まさに命懸けだったと聞きます。
そこまでしてキハ52を守っていこうとするいすみ鉄道。
来年はぴったり密着してまたここでもルポしていくたいと
考えております。
さてさて、こうして2010年を振り返っていたらNHK・行く年来る年で
津軽鉄道ストーブ列車の汽笛が鳴り、ほんとうに年が明けてしまいました。
みなさん、あけましておめでとうございます。
ことしもみなさんのテツ旅が実り多いものになりますように。
で、最初のテツ旅はって?
津軽鉄道・ストーブ列車に行ってきま~す、 またルポしますね!!